当寺には鳥取藩士で絵師の黒田稲皐のお墓があります。

 

 稲皐は鳥取藩士林源三郎の弟として生まれ、名は文祥、通称六之丞といいました。鳥取東館藩家臣黒田家へ養子に入り、その後当主池田仲雅の近習となります。

 

  稲皐は幼少の頃より画を好み、鳥取画壇の祖といわれる藩絵師土方稲嶺の弟子となり写実画法を学びました。人物、花卉、禽獣いずれも巧みでしたが中でも鷹と鯉の絵を得意としました。家に鷹を飼い、池に鯉を放ってその様子を観察し腕を磨いたという逸話が残っています。門人中師の信頼が最も厚く、師から稲の字の使用を許され、初め稲葉、後に稲皐と名乗りました。

 

 稲嶺没後、文政元年(1818年)ごろに公務で江戸に出たと伝えられています。騎射や馬術等、武芸全般に通じていたようで、落款には「弓馬余興(武士が本職であり絵は余興にすぎないの意味)」の印も使用しています。弘化年3(1846)年11月6日死去、行年60歳。

 

 

 

 上の写真は文化9(1812)年稲皐が25歳の時に描いた当寺所蔵、四曲一双の虎の屏風絵です。残念ながら入手の経緯や作品の意図等を記した資料は寺に残っていないため詳細は定かではありません。

 

 私見を述べさせて頂くならば、虎の親子を描いたものではないかとお見受けします。愛くるしく身構える子供とそれを優しく包み込む母親、少し離れて子供たちを見守る父親といった所でしょうか。皆さんはどの虎がお好きですか?今年の干支に因み令和4年1月より本堂で展示をしています。虎のように力強く前進する一年を願ってご参詣あれ!

 

 屏風の前で撮影をして頂いてもOKです。お寺の者がご案内をさせて頂きます。

雄の虎の拡大写真

雌の虎と子供の虎の拡大写真