玄忠寺所在地の変遷


  玄忠寺は、鳥取市街地に位置する浄土宗の寺院です。玄忠寺は過去に何度か移転を繰り返してきており、現在地に越してきてから約400年の歴史があります。それ以前の寺の所在地を表したものが左の古地図です。

  

  寺の創建は永正5(1508)年。当時は鳥取城の近く、湯所町高浜地(現在の鳥取北中学校付近、古地図内①)にあったと伝わっています。

 

 その後城郭整備により矢野地(材木町、古地図内②)へと移転。さらに玄好町(古地図内③)へと移転しました。玄好町にあった際には、周りを池で囲まれていたため中の島と呼ばれていたそうです。当時鳥取の名所八景の一つにも挙げられ、『鳥府史』(江戸時代の鳥取の地誌)では「廻りに池を巡らし中嶋の如くにして佳景の境地なり」と記載されています

 

 この頃に浄土宗寺院としての体裁が整ってきたものと考えられ、中本山の寺格を有していたとも伝えられています。藩政史料『家老日記』に玄忠寺で行われた数々の法要の記録が記載されています。また荒木又右衛門の菩提寺となった(1638年又右衛門死去)のもこの時期であり、当時鳥取藩において一目置かれていた事が窺い知れます。

 

  その後万治3(1660)年に、鳥取市内で発生した大火災により全焼し、現在地(新品治町)へと移転されました(上の地図には現在地は載っていません)。

 

  現在玄忠寺境内には、又右衛門の墓所や遺品資料を展示する荒木又右衛門記念館、庫裡では羅漢を描いた襖絵や仏像等、奥座敷からは心和む庭園を望めます。拝観の方にはガイドがご説明をさせて頂いております。ご参詣をお待ちしております。

 

寺名の由来


      江戸時代初期、玄忠寺が上記中の島地(現在の玄好町)にあった際は「源忠寺」という寺名で地図に記されています。その後現在地(新品治町)に移った後の古地図や『家老日記』には「玄忠寺」と書かれています。

 

 寺は過去に何度も火災に遭っており、最近では西暦1800年に全焼しています。そのため、それ以前の過去帳や寺の史料がなく、寺名の由来もわかっていません。そこで、以下の話はあくまで想像での話ですが、寺としては以下の事が寺名と関係があるのではないかと考えています。

 

 ①「源」の字:浄土宗開祖法然上人の僧名「源空」

 ②「忠」の字:玄忠寺初代住職の戒名「深心大忠大和尚」

 ③「玄」の字:中国(大陸)にある「玄中寺」

 

 ③の「玄中寺」というお寺は、中国浄土教三師(曇鸞、道綽、善導)ゆかりの寺です。三師の一人・善導大師は中国で称名念仏(口でナムアミダブツと称えること)の教えを広め、善導が記した『観経疏』という書物が、浄土宗宗祖・法然上人のお念仏信仰の礎となりました。

 

 そのような浄土宗の教えに縁の深い中国「玄中寺」ですが、読み方も同じ「げんちゅうじ」ですし、それに倣って当時のご住職が寺名に用いたのではないでしょうか。

 

玄忠寺住職


  

 写真は玄忠寺第29世田中博道住職。平成28年5月29日に先代住職の退山式並びに新住職の晋山式を営み正式に住職に就任いたしました。